「カンボジア・スタディ・ツアー」

カリタス女子短期大学のキリスト教文化部では、「キリスト教人間学」関連のカトリック・アイデンティティーにのっとったボランティア活動やスタディツアーに参加する学生や教職員に対して「ボランティア奨励費」を給付してその活動を奨励しています。

 平成20年度はカンボジア・スタディ・ツアー(2009年2月7日(土)~15日(日))に参加した4名の学生に奨励費が給付されました。

カンボジア・スタディ・ツアーは、かんぼれん(カンボジアの友と連帯する会)主催のツアーです。かんぼれんの代表は本学学長補佐のビセンテ・ボネット先生で、本学の学生達は以前よりかんぼれんの活動に協力させていただいています。カンボジア・スタディ・ツアーに参加した学生達は難民の家族や障がいのある子どもたちの家の訪問、キリング・フィールド見学、地雷などによる障がい者のための職業訓練校やプロジェクトの見学、かんぼれん支援により建設した小学校の落成式への参加、トンレサップ湖の美しい自然(夕日)の鑑賞など、毎日充実したプログラムを経験して、生きるとは、貧困とは、働くとは、自分は人の為に何ができるのか・・・と大変深く感じて帰国しました。

「2009年カンボジア・スタディ・ツアー報告書」に掲載されました、本学学生の報告の一部をどうぞご覧ください。

「村の子供たち」

S.K.    

6日目、私たちは車に乗って、目的地へ向かった。山道はだんだんと細くなり、凹凸が激しく、油断すると頭を車の天井にぶつけてしまいそうでした。繁華な町からしばらく走ると、そこには今まで同様見慣れた貧しい集落が存在していた。

私たちは最初に学校を訪ねた。校舎のないところに机一列には子どもたちが押し合いへし合いぎゅうぎゅう詰めで座って、皆一所懸命先生の後に続いてクメール語を唱和していた。この青空教室からすこし離れたところに校舎がありました。教室では、先生が単語を言い、子どもたちはプラスチック製の小さな黒板にチョークで書き込み、先生に向って「出来ました」と一斉に持ち上げてみせる。何人かが指名されてスペルを言い、間違った子どもはスペルを直して、次の言葉に移っていく。青空教室の子どもたちも校舎の子どもたちも、大半は裸足で服はぼろぼろ、洗濯などしたことはないような茶色くうす汚れた服を着ていました。痩せていて体格も小さく、栄養不足で髪の毛の色素が抜けて茶髪の子どももいる。(中略)

普段観光客の目には映らないカンボジアの子どもの現状の深刻さを目の当たりにした時、「何とかしたい、自分には何か出来ないのか」と今すぐ手を差し伸べられない自分をとても悔しく感じました。家族のために働くのが当たり前、お金が無いから働かなくては生きて行けない。日本では考えられないくらいの幼い子どもたちがお手伝い”ではなく“仕事”として働かされているのです。学校へ行きたくても行けない。それでも子どもたちは溢れんばかりの笑顔で私たちを迎えてくれました。子どもたちの笑顔は何物にも代えがたい宝物と感じました。カンボジアの素朴な生活、暮しているひとたちを生で見て思ったことは、国が貧困でも”人”は貧しくないということです。家族や友達の大切さを知り守っている人たちがいました。遠い海の向こうにあるかわいそうな国という認識を捨て、この旅で得た繋がりをもっと身近に感じ、今の私に出来ることを少しずつやっていこうと決意しました。このツアーで、人と出会うことの大切さを教えてくれました。そして自分のちいささに気づかされ、励ましてもくれるのです。

「ソマリア難民の実態」

H.M.   

 現在カンボジアにはたくさんの難民が暮らしています。日本ではあまり聞かれない難民という言葉ですが難民とは、戦争、宗教や民族対立などの理由だけでなく天災や貧困、飢餓などの理由で住む場所を追われた人々を指します。現在の国際法においては紛争や政府の弾圧など迫害を受けるものに対する救済の義務が立法化されているため、狭義の政治難民を難民と呼びます。(大辞林)(中略)

二番目に訪ねたのはハッサンさんのお宅で2007年9月14日からカンボジアに住んでいます。彼は1LDKのアパートに他の難民二人と暮らしています。手前の部屋(リビング兼台所)はハッサンさん、奥の部屋は残りの二人が住んでいました。自分でも混乱していると言うほど、年代や時期、場所がばらばらでしたが、彼のとにかく誰かに話を聞いてもらいたいという思いが伝わってきて、ここに来るまで波乱万丈な生活を送ってきたことが伝わってきました。特に彼は私たちに昔の裕福だった頃の話をしたがっていた様に感じました。内戦が始まる前は彼の親は工場を二つ持っていて高級外車を所有していて、彼自身はイラクの大学に留学していて薬学部の生徒だったと言います。しかし内戦が始まり彼の目の前で彼の二人のお兄さんが殺され、母親も何者かに殺されたそうです。彼は賄賂を渡して家を借りながら他の家族を2年ほど待ち続けましたがとうとうお金が底をつき、ケニア、エチオピア、リビア、マレーシア、タイに渡り最後にカンボジアにたどり着いたそうです。今彼は心臓、足、腰と精神の病気にかかっていて、一日に6~8錠の薬を飲んでいます。そして薬が無くなったら病院に行くという生活を送っています。

今回の難民訪問で、難民として亡命すること自体がまずとても難しいということを知りました。難民として生き残るには、多額の資金と運が必要だということです。アデンさん一家とハッサンさんはソマリアに留まっている人々より幸運でチャンスを有効に使いカンボジアまで来たかもしれません。しかし見知らぬ土地で暮らしていかなければならず、たびたび差別も受ける、さらに職が得られない。自分たちがいつ国へ戻されてしまうかもわからない。この生々しい事実を聞いて大きな衝撃を受けました。

(かんぼれん発行「2009年カンボジア・スタディ・ツアー 報告書」より
かんぼれんのHP : www.camboren.org

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